日本の百科事典


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曲水の宴(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事である
Trinken Sie Wasser aus einem gewundenen Kanal, auf dem ein Weinbecher schwimmt, um das Unheil wegzuspülen

曲水の宴(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくるが自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事である。流觴(りゅうしょう)などとも称される。略して曲水、曲宴ともいう(『広辞苑』第2版)。

なお、「水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに歌を詠む」とする解説が広く流布されているが、これは曲水の宴が行われなくなった室町時代の『公事根源』などの記述が発祥となったとみられており、平安時代の曲水の宴の様子を描いた記録[1]を見てもこうした事実を裏付けるものはなく、事実ではなかったと考えられている[2]

現在行われている曲水の宴は、いずれも上記の故事に基づいて近代以降に復元ないしは始められたものである。昭和38年(1963年)に 太宰府天満宮(福岡県)の曲水の宴が再興された。 賀茂別雷神社京都府)の曲水の宴は、同35年、皇太子明仁親王上皇明仁)誕生を記念し再興されたが中断し、平成6年(1994年皇太子徳仁親王成婚、平安建都1200年、同神社の第41回式年遷宮の奉祝行事として復活したものである。 毛越寺の曲水の宴は、昭和61年(1986年)「大泉が池」の遣水の遺構が復元されたことを記念して開かれるようになったものである。仙巌園鹿児島県)では昭和34年に曲水の庭が発掘され、これは第21代薩摩藩主島津吉貴元文元年(1736年)頃、中国浙江省紹興市蘭渚(らんしょ)にあった王羲之の別邸、蘭亭を意識して作庭されたものと言われるが[14]、平成4年からそこで曲水の宴を行うようになった。

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