日本の百科事典


Japanese
Catalog Important port

東京特別区部を除くと横浜市・大阪市に次ぐ全国第3位の人口を有する市[3]。中部地方における行政・経済・文化の中枢で、東日本と西日本を結ぶ交通の要所となっている。
战国时代清洲城 信长居城

東京特別区部を除くと横浜市大阪市に次ぐ全国第3位の人口を有する市[3]中部地方における行政経済文化の中枢で、東日本西日本を結ぶ交通の要所となっている。

古くは三種の神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る[4]熱田神宮がある鳥居前町であり、江戸時代尾張徳川家の治める城下町として繁栄した歴史を持つ。また、タイ王国から寄贈された真舎利釈迦の遺骨・お骨)を安置するために創建された日本唯一の寺[5]である覚王山日泰寺がある。

名古屋市を中心として中京圏を形成し、愛知県内や岐阜県南部、三重県北部に多くの衛星都市を持ち、日本の三大都市圏の1つに数えられる。2019年都市的地域の人口は約1,024万人と推計される[6]。中京圏の域内総生産は約3,637億ドルであり、これは国内で3番目、世界で第22番目の規模である[7]

アメリカ合衆国シンクタンクが2019年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界70位の都市であると評価された[8]ユネスコ創造都市に認定されている[9]。市章は、尾張徳川家の合印に由来する「㊇」である[10]

 

This image, video or audio may be copyrighted. It is used for educational purposes only.
大阪市(おおさかし)は、大阪府中部に位置する市。大阪府の府庁所在地であり、政令指定都市である。

https://www.net4info.de/photos/new/albums/userpics/10001/2/Osaka.jpg

大阪市(おおさかし)は、大阪府中部に位置する。大阪府の府庁所在地であり、政令指定都市である。

西日本および近畿地方首位都市であり、経済文化交通の中心都市。また、京都市神戸市を含めた、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏の都市中枢を成す。市域は24の行政区からなる。市庁所在地は北区中之島(淀屋橋)。市域に多数の河川を有し、歴史的にも港湾機能や河川交通が発達していたことから水都の異名を持つ。4世紀に都として難波宮が置かれて以降、およそ1700年に及ぶ歴史を有する。現在では、商業国際観光などが盛んな[1]アジアにおける世界都市である。

大阪市の都市としての源流は弥生時代後期〜古墳時代に遡る。日本書紀によると、第15代応神天皇が行宮として難波大隅宮を整備したとされている。その後の第16代仁徳天皇は難波高津宮を皇居とし、その後国内流通の中心である住吉津難波津が開港され、本格的に都市としてのスタートを切ることになった。後に我が国の都として難波宮が整備されたが、その後の度重なる遷都により、首都は現在の奈良県京都府などに移ったため、その後は主に商都として歩むことになる。

市域を中心(首位都市)として、大阪都市圏および京阪神大都市圏を形成している。大阪市の2016年度の市内総生産は約20兆円で[2]、日本国内では東京区部に次ぐ規模を誇る。これは政令指定都市中最大であり、北海道千葉県兵庫県など1つの道府県県内総生産を上回り[3]、約370万人の人口を持つ横浜市の約1.5倍の市内総生産である[4]。また、京阪神大都市圏は圏内総生産約80兆円、世界7位の経済都市圏である[5]

夜間人口は約275万人(全国2位)、人口密度政令指定都市中1位(全市町村中5位)、昼間人口は市外から多くの通勤・通学者が流入するため、約354万人である。面積は、全国に20市ある政令指定都市の中でも川崎市堺市さいたま市に次ぎ4番目に小さい。これは横浜市のおよそ半分、名古屋市のおよそ3分の2程度であるが、行政区が24区と政令指定都市中最多であるため面積が10km2に満たない行政区が多い。近年では都心回帰が顕著で、大阪都心6区や都心9区を中心に人口が増加しており、西区城東区では人口密度が2万人/km2を超えている。

古代より瀬戸内海大阪湾に面した立地から、住吉津難波津などの港を持ち、港湾都市、国内流通の中心として栄え水の都と称された。中世には、渡辺津浄土真宗本山であった石山本願寺が置かれ、寺内町として商工業が発展。近世初期には、古代から生国魂神社や難波宮が存在した上町台地の先端付近に豊臣秀吉大坂城を築城し、城下町が整備された。江戸時代には天領となり、経済・交通・金融・商業の中心地として発展。堂島米市場が置かれ、当時の経済の中心であった米の中央市場として機能した。大坂は天下の台所と称され、商業の町で豊かな町人文化(上方文化)を育んだ。明治時代に入ると、繊維工業(船場の繊維問屋街なども有名)を中心とした工業都市となり、「東洋のマンチェスター」「煙の都」と称された。

1925年に第2次市域拡大を行い、人口は211万人に到達。当時の東京市を上回り、面積・人口・工業出荷額において日本1位、人口世界6位の大都市へと成長した。この時代を「大大阪時代」と呼ぶ[6][7][8][9]1923年に都市計画学者である關一が第7代大阪市長に就任すると、關は堺筋に代わる市のメインストリートとして、御堂筋の拡張・整備を行い、その地下に日本初の公営地下鉄である大阪市営地下鉄(現在の大阪市高速電気軌道〈Osaka Metro〉)御堂筋線の一部(梅田駅-心斎橋駅)を建設するなど、現在につながる大阪の基礎を作り上げた。他方で、卸売業を中心に商業活動も活発であり、道修町(薬種)、松屋町(玩具)、本町(繊維)など市内各所に江戸時代からの歴史を持つ問屋街が発達している。

Osaka Metro御堂筋線が市内交通における大動脈として機能しており、新大阪駅-梅田駅-難波駅-天王寺駅といった重要な駅を南北に結んでいる。また、在阪の大手私鉄5社の主要ターミナル駅は全て御堂筋線の駅と接続している。梅田を中心としたキタ心斎橋難波を中心としたミナミが2大繁華街として繁栄しており、商業の中心地として機能している。他にも天王寺新世界京橋十三などの繁華街を擁し、阿倍野・天王寺エリアにあるあべのハルカスは日本有数の超高層ビルとして知られる。中之島淀屋橋北浜界隈の大阪市の伝統的なオフィス街には、金融街が形成されている。また、梅田堂島中之島大阪ビジネスパーク (OBP) には超高層ビルが林立しており、華やかな都市景観を形成している。市役所が所在する中之島や、大阪府庁が所在する大手前周辺には、官公庁や公的機関が数多く立地している。

イギリスの調査機関エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが、世界の主要140都市を対象に行った調査「Global Liveability Index(世界住みよさの指標)」2019年度版において、ウィーンメルボルンシドニーに次ぐ世界4位、アジア1位の都市と評価された[10]アメリカシンクタンクが発表している世界都市ランキング「2020 Global Cities Index(世界都市の指標)」において、世界35位の都市と評価された[11]。イギリスのシンクタンクが発表した2021年の報告書「The Global Financial Centres Index(世界金融センター指標)」によると、世界32位の金融センターと評価されている[12]

This image, video or audio may be copyrighted. It is used for educational purposes only.
広島市(ひろしまし)は、広島県西部の安芸地方に位置する市。広島県の県庁所在地で、政令指定都市である。

http://www.net4info.de/photos/cpg/albums/userpics/10002/Hiroshima.jpg

広島市(ひろしまし)は、広島県西部の安芸地方に位置する広島県県庁所在地で、政令指定都市である。人口は約119.6万人。

中国地方の中西部にあり、市域は、中区東区南区西区安佐南区安佐北区安芸区佐伯区の8区で構成される。 中国・四国地方で最大の人口を有するでもあり、大企業支店官公庁出先機関が多く拠点を置く中国地方支店経済都市地方中枢都市である。

世界史上初めて核兵器原子爆弾)で爆撃された都市として、世界的に知名度が高い。それ故に、「国際平和文化都市」としても一定の影響力を持っており、広島市長の発案で創設された「平和首長会議」には150を超える国から4,600以上の自治体が加盟している[1]第二次世界大戦以前には「軍事都市」であった歴史とは対照的である。

広島市への原子爆弾投下」も参照

古代中世には現在の広島市街地がある太田川デルタ(三角州)は形成されておらず、安芸国の中心としては国府が現在の安芸郡府中町または東広島市西条にあったと推定され[2]、太田川中下流域の祇園[3]・戸坂[4]から可部[5]にかけて荘園、郷が広がっていた。16世紀末、戦国武将の毛利輝元が太田川デルタを干拓して築城を開始したのをきっかけに地域の中枢機能が太田川デルタへ移り、都市としての広島の発展が始まった。江戸時代には、広島藩42万石の城下町として浅野氏のもとで発展した。明治時代に入ると、陸海軍の拠点が集中する軍事都市(軍都)となり、特に日清戦争時には広島大本営が置かれて明治天皇が行在し、第7回帝国議会は広島市で開かれるなど、臨時の首都機能を担った[6]

第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍戦略爆撃機B-29エノラ・ゲイ」によって広島市中心部の相生橋上空に原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、きのこ雲が立ち上り、市街地は一瞬にして破壊された。投下当日中に数万人、1945年末までに推計13万人の人命が奪われ、生存者も火傷痕(ケロイド)、放射線後遺症、精神的後遺症(PTSD等)、遺伝への不安に生涯苦しむなど、市民が経験した苦痛は人類史上類を見ないものであった。

1945年の原爆投下後は一時的に死亡者が急増して人口が大幅減少した。広島市の人口の20パーセント近くが減少したが、戦後重工業マツダなどの自動車産業を中心に見事復興し、現在では日本の主要な工業都市となっている。1980年4月1日には札幌市川崎市福岡市(3市とも1972年4月に指定)に続いて全国で10番目となる政令指定都市に指定された。1985年3月に人口が100万人を突破し、現在では全国の市で10番目の人口を抱える(→日本の市の人口順位)。中四国地方最大の人口を誇り、地域内では唯一の100万都市である。また、札幌市仙台市福岡市とともに地方中枢都市の一角を担う存在である。地方中枢都市の中では唯一(狭義の)地下鉄が通っておらず、市内交通は路面電車広島電鉄とバスが担っている。特に路面電車は規模・乗車人数において国内最大であり、日本一の路面電車の街となっている。

This image, video or audio may be copyrighted. It is used for educational purposes only.
東京(とうきょう、英: Tokyo)は、日本の地名。関東平野の南部に位置し、東京湾に面する都市。日本の首都機能がある。

東京(とうきょう、: Tokyo)は、日本地名関東平野の南部に位置し、東京湾に面する都市。日本の首都機能がある[1][注 1]。 「東京」は、日本の首都広域的地方公共団体である東京都を指す場合と、特に東京都区部(東京23区)を指す場合とがある[2]

東京は、江戸幕府の所在地であった江戸(えど)という都市1868年9月(慶応4年7月)に名称変更されたものである。もともと江戸の地には江戸幕府すなわち政府が置かれ、徳川家の人々と老中らが政治を行っており、その一方で京都にも朝廷があり、天皇太政官がいるといった状態の役割分担や二重構造(「複都制的」状態[注 2])があったが、1869年3月28日に、京都に「都(みやこ)」としての位置付けを残したまま、「東京」に奠都(てんと)[注 3]された[3]。こうして東京は日本の事実上の首都の役割を担ってきた[注 4][注 5]

現在、東京は日本における政治・経済・文化の中心である。政治面では、日本国政府が本拠地とする。立法府である国会議事堂司法府の頂点である最高裁判所行政府の長である内閣総理大臣官邸中央省庁街(「霞が関」)などは、いずれも東京の中心部である東京23区にある。経済面では、日本の株式上場企業の本社のほとんどが東京に集中し、近年では(東京圏では)購買力平価(PPP)を基にしても東京都市圏GDPは1兆5369億ドル(2014年)であり[5]、世界的な経済都市であり、大消費地でもある。文化面では、たとえば現在では(東京都内に)千数百におよぶ劇場ホールライブハウス類があり[6]多数のアーティストたちが活動する場であり、ポップカルチャーなどの新しい文化の発信地でもあり、ミシュランガイドの星つきの飲食店の数は世界最多で[7]、世界各国の食文化が華開いている場所でもある。東京は、日本各地、近隣の国々、世界各国から人々が観光に訪れる都市であり、さらに東京に移住した外国人の人口は2020年1月時点でおよそ57万7千人で[8]、独り暮らしや家族単位の暮らしをしている人々も多いが移民街も形成されており、《多文化共生》、つまり様々な国の文化背景を持つ人々が仲良く暮らすことが、以前からそれぞれの地区の善意の人々によって進められており、近年では行政によっても積極的に推進されている場所でもある[9]。現在、東京には、23特別区・26市・5町・8村の基礎自治体がある。人口は(2010年時点で)1316万人[4]

東京のこれまでの道程は決して平坦であったわけではなく、関東大震災東京大空襲で焼け野原となってしまったこともあるのだが、戦後復興のために膨大な努力をしたおかげで、現在では世界最大級のメトロポリス世界都市となっている。東京は明治期にも課題が山積みの都市であったが(#明治維新後の課題と都市政策を参照)、現在も、高い犯罪率、人口過密、通勤ラッシュなど、さまざまな課題を抱えている都市である(#近年の東京が都市としてかかえる課題を参照)。

総合力

2017年に日本の森ビル傘下の民間研究所が発表した「世界の都市総合力ランキング」では、ロンドンニューヨークに次ぐ世界3位と評価された[10]。また2017年にアメリカのシンクタンクが発表した総合的な世界都市ランキングでは、ロンドン・ニューヨーク・パリシンガポールに次ぐ世界5位と評価された[11]

住みやすさ/住みにくさ

2018年にイギリスの『エコノミスト』誌の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が発表した「2018年世界で最も住みやすい都市ランキング」では東京は7位だった(なお、1位 ウィーン(オーストリア)、2位 メルボルン(オーストラリア)、3位 大阪(日本)、4位 カルガリー(カナダ)、5位 シドニー(オーストラリア)、6位 バンクーバー(カナダ)、7位 東京(日本)、8位 トロント(カナダ))[12]

ドイツのインターネイションズ(InterNations)が毎年発表している「外国人が住みやすい街ランキング」の2019年版では、東京は26位(1位 台北(台湾)、2位 クアラルンプール(マレーシア)、3位 ホーチミン(ベトナム)、4位 シンガポール、5位 モントリオール(カナダ)6 リスボン(ポルトガル)、7 バルセロナ(スペイン)、8 ツーク(スイス)...と続き、はるか下の26位にようやく現れる。)[13]。 イギリスの人材調査会社ECAインターナショナルが2019年1月に発表した「アジア(アジアオセアニア地域)の、駐在員が最も住みやすい都市ランキング」では、大阪名古屋・東京が並んで5位。(なお、1位 シンガポール、2位 ブリスベン(オーストラリア)、3位 シドニー(オーストラリア)、 4位 アデレード (オーストラリア)。前年は、大阪は3位、名古屋6位、東京も6位)[14]

「東京」とは「東にある都」という意味[15]

江戸を東京と改称する構想は、江戸時代後期の経世家である佐藤信淵が文政6年(1823年)に著した『混同秘策』にすでに現れていた[16][17]。佐藤は、日本が世界に躍り出るためにはそもそも日本の守りを強固にする必要があるので、そのためには、都は江戸に移し、江戸を「東京」と呼び、大阪を「西京」と呼び、東京・西京・京都の三京にする、という構想を記したのである。

大久保利通が佐藤の書に影響を受けて江戸を東京と改称することを建言したという[16]

1868年9月3日慶応4年(明治元年7月17日)に出された『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』において、江戸町奉行支配地域を管轄する東京府が設置されると定められ、以後「東京」という名称が公式に用いられることになった。

こうして「東京」と表記されることは決まったのだが、読み方については根拠となるような法令が出たわけでもなかった。「とうきやう」(呉音)が正規に使われたが、明治20年代前半頃は漢音読みの習慣も残っていたため「とうけい」の読みも少なくなかった[18]。日刊新聞の発達により人々が情報を共有する機会が広がり、第1期国定国語教科書で「東京」の振り仮名が「トーキョー」と表記され、混在はなくなった。

なお漢字については、昭和初期までは「東亰」という表記も混用されていた[19]。この「亰」という文字は「京」の異体字である[20]。「亰」を使ったのは、中国の東京(Dongjing、ドンジン)との混同を防ぐためともいわれるが、後に同じ字となった。

 

This image, video or audio may be copyrighted. It is used for educational purposes only.
横浜市(よこはまし)は、神奈川県東部に位置する市。神奈川県の県庁所在地及び最大の都市で、政令指定都市である。

http://www.net4info.de/photos/cpg/albums/userpics/10002/Yokohama.jpg

横浜市(よこはまし)は、神奈川県東部に位置する。神奈川県の県庁所在地及び最大の都市で、政令指定都市である。

東京大都市圏に属する。市の人口は約378万人で東京23区を除く全国の市区町村で最大の人口である。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国鎌倉郡戸塚区泉区栄区瀬谷区[注釈 2]の全域と港南区南区金沢区の一部)。

日本有数の港湾都市・商工業都市である[1]横浜駅からみなとみらいにかけての海岸沿いには、超高層ビル群を形成している。観光地としても人気があり、横浜中華街元町山下公園などがある関内地区を筆頭に、横浜みなとみらい21地区や山手地区などが有名である。の名物は洋食横浜中華街中華料理崎陽軒シウマイ弁当横浜家系ラーメンサンマーメンなどがある。

日産自動車グローバル本社いすゞ自動車本社(2022年5月以降予定)等の自動車関連企業が集まっており、自動車工業都市という側面も持つ。

横浜市は東京都心から南南西に約30kmから40km圏内にある、東京湾に面した神奈川県で最大の自治体である。横浜市の中心機能は中区西区に集積しており、行政の中心地は関内地区(中区関内駅周辺及び桜木町駅周辺)[注釈 3]で、横浜市最大の商業地横浜駅周辺地域(西区の北部一帯)である。西区と中区にまたがって存在している新都心横浜みなとみらい21」エリアは、行政の中心である関内地区と一大繁華街である横浜駅周辺という2つの中心地(ツインコア)を統合する役割で再開発された。

横浜市では都市再開発が進められており、横浜市内の各地区の結び付きを強化する計画が進行中である。経済活動の中心地であり、繁華街の横浜駅周辺地域は、横浜市政の中心地である関内地区から北北西に約3kmの所にあり、両地域間は事実上分断されており、横浜市政は両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、横浜都心の一体的発展を進めている。また、横浜都心臨海部(インナーハーバー[16])に位置する東神奈川臨海部周辺(東神奈川駅周辺及び山内埠頭周辺)地区[17]、横浜駅周辺地区、みなとみらい地区、関内、関外地区、山下埠頭周辺地区では長期的な都市の再生計画が進行中で、これらの五地区を連節バスLRT(次世代型路面電車システム)で結ぶ案も検討されている[18][19]

横浜市域は広大であり、横浜市政が指定する都心(ツインコア)は、横浜都心(関内・関外地区、横浜みなとみらい21 (MM21) 地区、横浜駅周辺地区[20][21]新横浜都心(城郷地区(小机駅周辺地区)、羽沢地区羽沢横浜国大駅周辺地区)、新羽地区(新羽北新横浜駅周辺地区)、新横浜地区(新横浜駅周辺地区))[22]である。また、主要な生活拠点(旧:副都心)としては、鶴見駅周辺、港北NT(港北ニュータウン)センター二俣川駅鶴ヶ峰駅周辺、戸塚駅周辺、上大岡駅周辺が指定されている[23][24]。港北NTセンターを除く各地区は、JR東海道線横浜線京急本線相鉄本線の鉄道駅を中心として古くから発展してきた街である。港北NTセンターは、1965年に策定された横浜市六大事業の一つとして、当時の港北区(現在の中心は都筑区)に計画的に開発された街である。都心(ツインコア)と各主要な生活拠点(旧:副都心)間は、横浜市営地下鉄ブルーラインおよびグリーンライン(横浜環状鉄道)[25]横浜環状道路を中核とした自動車専用道路によって[26]、計画的に結ばれる予定となっている。

市内北東部の鶴見区神奈川区の臨海部を中心に、隣接する川崎市大田区などとともに京浜工業地帯の一角を成しており、多数の重化学工業の工場や大小様々は事業所が立地している工業都市でもある。

2010年代以降、首都直下型地震発生の危険性が高まっている。2018年に今後30年間で震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が82%と算出されており、地震学的には横浜市全体が危険地帯とされている[27]

市域は神奈川県の東部にあたり、東経139度43分31秒(鶴見区扇島)から139度27分52秒(瀬谷区目黒町)、北緯35度35分33秒(青葉区美しが丘西)から35度18分44秒(金沢区六浦南)に位置する[38]。東は東京湾に面し、北は川崎市、西は大和市藤沢市東京都町田市、南は鎌倉市逗子市横須賀市に接する。市域の面積は神奈川県の約18%を占め、県内の市町村で最も広い。

横浜市域の地形は、丘陵地台地段丘低地埋立地に分けられる。

市の面積の多くを丘陵地が占めている。丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は保土ケ谷区旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、多摩丘陵の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、三浦半島に続く三浦丘陵の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。鎌倉市に山頂部を置く大平山をはじめとする通称「鎌倉アルプス」に続く峠部分が市内最高点(栄区上郷町、標高159.4m)であり、市内最高峰の大丸山金沢区釜利谷町、標高156.8m)や円海山磯子区峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地に位置する。一方、北側の丘陵は最高峰が高尾山(緑区、100m)と然程高い山はない。もっとも、平均標高は高く、旭区が市内で最も高い。

台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。瀬谷区泉区戸塚区など西側の台地は、相模野台地の東端に当たり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。

低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江平潟湾は、鎌倉幕府が江戸湾側の海の玄関口とした天然の良港であった。としては金沢区の野島扇島八景島人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。

This image, video or audio may be copyrighted. It is used for educational purposes only.
神戸市(こうべし)は、兵庫県の南部に位置する同県の県庁所在地。垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区から構成される政令指定都市。日本の市で6番目の人口を有する。

/assets/contentimages/Kobe.jpg

神戸市(こうべし)は、兵庫県の南部に位置する同県の県庁所在地垂水区須磨区長田区兵庫区中央区灘区東灘区北区西区から構成される政令指定都市日本の市で6番目の人口を有する。

の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深のある扇状の入り江部に発展した理想的な港湾神戸港を有する日本を代表する港町である。

神戸」という地名は、現在の三宮元町周辺が古くから生田神社神封戸の集落(神戸「かんべ」)であったことに由来する。西国街道の宿場町であり北前船の出発地の一つでもあった兵庫津(ひょうごのつ)に近く、廻船問屋が軒を並べていた神戸村を指していた。神戸三社(神戸三大神社)をはじめとする市内・国内にある神社の神事に使うお神酒の生産にも係わり、前述の有馬温泉や神封戸の形成も市名の由来に関係している。

海運においても古くから盛んで、近代には世界の市場にその名を知られるほどに隆盛していった。以降も貿易・鉄鋼・造船・機械・製造ゴム真珠加工・観光等の産業を中心に発展、ファッション医療食料品などの産業も近年は盛んである。

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災では市内のほぼ全域で震度7を観測。市街地と港、道路、インフラは甚大な被害を受けたが急速に復興を遂げ、2005年には国内3番目の市営空港として神戸空港が開港した。

2008年、アジアの都市で初めて「デザイン都市」としてユネスコに認定された。

2012年スイスのECAインターナショナルが世界400余りの都市の、気候、医療サービス、インフラ、安全性、大気品質などの生活水準を調査し発表した「世界で最も住みやすい都市」で、日本の都市で唯一トップ10に入り、世界全体で5位、アジア圏ではシンガポールに次ぐ2位に選ばれている。

This image, video or audio may be copyrighted. It is used for educational purposes only.