
日本の百科事典


神戸市(こうべし)は、兵庫県の南部に位置する同県の県庁所在地。垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区から構成される政令指定都市。日本の市で6番目の人口を有する。
海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深のある扇状の入り江部に発展した理想的な港湾・神戸港を有する日本を代表する港町である。
「神戸」という地名は、現在の三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸の集落(神戸「かんべ」)であったことに由来する。西国街道の宿場町であり北前船の出発地の一つでもあった兵庫津(ひょうごのつ)に近く、廻船問屋が軒を並べていた神戸村を指していた。神戸三社(神戸三大神社)をはじめとする市内・国内にある神社の神事に使うお神酒の生産にも係わり、前述の有馬温泉や神封戸の形成も市名の由来に関係している。
海運においても古くから盛んで、近代には世界の市場にその名を知られるほどに隆盛していった。以降も貿易・鉄鋼・造船・機械・製造・ゴム・真珠加工・観光等の産業を中心に発展、ファッション・医療・食料品などの産業も近年は盛んである。
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災では市内のほぼ全域で震度7を観測。市街地と港、道路、インフラは甚大な被害を受けたが急速に復興を遂げ、2005年には国内3番目の市営空港として神戸空港が開港した。
2008年、アジアの都市で初めて「デザイン都市」としてユネスコに認定された。
2012年、スイスのECAインターナショナルが世界400余りの都市の、気候、医療サービス、インフラ、安全性、大気品質などの生活水準を調査し発表した「世界で最も住みやすい都市」で、日本の都市で唯一トップ10に入り、世界全体で5位、アジア圏ではシンガポールに次ぐ2位に選ばれている。
福岡市(ふくおかし)は、福岡県西部に位置する市。福岡県の県庁所在地であり、政令指定都市である。
近畿地方以西の西日本では2番目、東京23区を除いた全国の市でも横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次ぐ5番目の人口(約162万人[1])を擁し、九州地方の行政・経済・交通の中心地として同地方最大の人口を有する。
博多湾に面するこの地域は古来から博多(はかた)として認識されており、大陸方面への玄関口として利用されてきた。中世に商人による自治都市が形成され、戦乱で度々焼き払われながらも、豊かな町人文化を育んだ。豊臣秀吉の手で復興されたのち、黒田氏が福岡城とその城下町を築いたことで、那珂川を境に西が城下町としての「福岡」、東が中世からの商人町・商業都市としての「博多」となった[2]。その後、江戸時代から明治時代初頭にかけて、福岡と博多は共存していたが、1876年に福岡と博多は1つの都市へと統合され「福博(ふくはく)」となり、その後、「福岡」と改称された[3]。
九州地方の行政・経済・交通の中心地であり同地方最大の人口を有し、西日本においても大阪市に次ぐ人口を擁する都市である。同市を中心として福岡都市圏を形成している。北九州市(北九州都市圏)とともに形成する北九州・福岡大都市圏は都市単位の経済規模において日本の四大都市圏に数えられる[3]。市内総生産は特別区部である東京23区を除けば、大阪市、横浜市、名古屋市に次いで国内4位であり、福岡市は三大都市圏に次ぐ高い経済力を持った都市である[4]。東京や大阪に本社を置く大企業が九州地方を統括する支店・支社が多数立地しており、典型的な支店経済都市である。札幌市、仙台市、広島市とともに地方中枢都市としての役割を担っている。また、14の大学や9の短期大学が立地する全国有数の「学生の街」であり、人口に占める学生の割合は政令指定都市の中では京都市に次ぐ第2位である[5]。
明治維新の近代初期は現在のように九州地方で最大の都市では無かった(都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位を参照)。当時、九州地方最大の都市は長崎市・鹿児島市であり、九州地方を統括する中央の出先機関は熊本市に置かれるなど、九州地方における福岡県および福岡市の重要性は低かった。1899年博多港開港、1911年九州帝国大学(現在の九州大学の前身)設置に端を発して発展が進み、徐々に九州地方の中枢として位置づけられるようになった。1910年代に熊本市の人口を抜き九州地方最大となる。1920年の人口統計では熊本県の人口の2倍を超えている。また、この時期から九州を統括する中央の出先機関は福岡市に移行している。1963年に、五市合併で北九州市が発足すると同市の人口が九州地方最大となり、北九州市が九州で初めて政令指定都市に指定された。その後、昭和後期の日本における炭鉱の相次ぐ閉山・第三次産業の急速な発達などの産業構造の転換と、政令市指定・山陽新幹線博多駅延伸などを経て、1979年に再び北九州市を抜いて、福岡市の人口が九州地方最大となった。2010年以降、福岡市は人口増加数、増加率とも政令市の中で最も高く[6]、現在もなお年間1万人を超えるペースで増加傾向にある。2015年には神戸市を抜き、全国でも5番目に人口が多い市となった[7]。2020年5月には、人口が160万人を突破した[8]。
玄界灘の壱岐や対馬をはさんで大韓民国(韓国)があり、同国南部の主要都市である釜山までは福岡市から直線距離で200km程度[9]である。また、中国の上海市までは同様に850km程度といずれも東京より近い。これらの事例のように、近隣諸国の主要都市がおおむね1,000km圏内に存在しているため、博多港、福岡空港から韓国や中国、台湾などのほか東南アジアの主要都市への国際航路が多く設定されており、これらの地域からの観光客が増加傾向にある。古来から朝鮮半島のある大陸との玄関口となっている福岡市は世界においても影響力を持つ都市として、日本の森記念財団が2019年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では評価対象となった都市の中で世界42位、国内では東京・大阪に次ぐ3位に評価されている[10]。また、同財団が国内の都市の魅力や持続性を評価した「都市特性評価」では京都市に次いで国内2位である[11]。グローバル創業・雇用創出特区として、北九州市とともに国家戦略特別区域に指定されている。また、福岡市で開催される国際会議数は、東京に次いで国内2位であり、北九州市とともに国際会議観光都市にも指定されている[4]。
福岡市の都心は、天神と博多の両極がある(それぞれ江戸時代の福岡と博多に相当する)。天神地区は福岡市役所と西鉄福岡(天神)駅・福岡市地下鉄天神駅のほか、多数の百貨店やファッションビルが集積する九州最大の繁華街である。博多には九州最大のターミナル駅である博多駅があり、多数の新幹線や特急列車が九州各都市を結んでいる。また福岡空港も地下鉄で数分と至近距離であるため、博多駅周辺は大企業の支社が集積するビジネス街となっている。天神と博多を隔てる那珂川の中州に形成された歓楽街は、中洲(なかす)として全国的に有名である[12]。中洲は西日本一の歓楽街とされ[12]、東京の新宿・歌舞伎町、札幌・すすきのと並んで、日本三大歓楽街の一つとされる[13]。天神・博多・中洲・長浜などで夜間に常設される屋台の数は日本一[14] で、屋台目当ての観光客も多い。1995年には大型複合商業施設キャナルシティ博多が中洲の東側に開業、2011年には九州新幹線博多延伸に伴い博多駅に複合商業施設JR博多シティ(アミュプラザ博多、博多阪急)、2016年にはKITTE博多(博多マルイ)が開業した。もともとビジネス街だった博多駅周辺の商業施設の集積が進んでおり、天神地区との商業地競争が激化している(「天神流通戦争」も参照)。福岡都心の地価は年々上昇傾向にあり、天神木村屋ビルで1㎡あたり620万円、博多駅東(博多駅筑紫口)が1㎡あたり388万円と東京の一等地と比べても見劣りしない価格であり、東京都中央区東銀座の平均地価を上回っている[4]。ただし、福岡空港が中心市街地と近接している関係で市内中心部には航空法上の高さ制限が設定されており、天神や博多駅周辺には超高層ビルがほとんど存在しない。天神・大名地区は高さ制限を緩和して民間のビルの建て替えを行う再開発計画「天神ビッグバン」が進行中である。
福岡市の主な副都心としては、西新と香椎が挙げられる。両者の周辺には高校や大学、専門学校が多数存在するほか、ウォーターフロント開発地区として、西新の北にはシーサイドももちが、香椎の西にはアイランドシティが隣接している。特にシーサイドももちには、福岡PayPayドーム・福岡市総合図書館・福岡市博物館・報道各社といった文化・エンターテインメント施設が集積している。天神や博多などの福岡都心は福岡空港に近く超高層ビルが建てられないが、福岡市内の高さ100m以上の建造物の殆どが(比較的高さ規制の緩い)この両副都心の近辺にある。この両副都心ほど大規模ではないが他に福岡市の副都心として挙げられる地域は、大橋や姪浜がある。
九州の北部。日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部で博多湾口付近の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。
福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の人口100万人以上の主要都市としては韓国のソウル特別市、中国の上海市、台湾の台北市に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約880km、大阪市から約480km、広島市から約200km、韓国の釜山広域市から約200km、ソウル特別市から約540km、中国の上海市から約890km、台湾の台北市から約1280kmの位置にある。
市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。他の大都市と比べて平坦であるため、通勤や通学、買い物における自転車利用の利便性が高い。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。市街地の海岸部は大半が埋立地であり[15]、港湾・住宅などが建設されている。また、博多湾東部には人工島も建設されている(アイランドシティ)[16]。一方、西区の大部分や東区海の中道と島嶼部などには自然海岸も残っている。また、玄界島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。黒瀬は、新生代第四紀に活動した福岡県唯一の火山島に分類され、玄武岩で構成されている。
市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などの二級河川はあるが、一級河川はない。従って自主水源に乏しくたびたび大規模な渇水(例:昭和53-54年福岡市渇水)に見舞われている。
長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。
那覇市(なはし、沖縄語: ナーファ、ナファ[3])は、沖縄県の沖縄本島南部に位置する市。沖縄県の県庁所在地及び最大の都市であり、中核市、中枢中核都市に指定されている。
沖縄県の政治・経済・文化の中心であり、また県外や周辺離島とを結ぶ那覇空港や那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担っている。 都道府県庁所在地では、唯一JR線が通らない[注釈 1]。
面積は日本の全都道府県庁所在都市の中で最も小さく、人口密度は首都圏と近畿圏と政令市の行政区を除くと全国で最も高い。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、そのなかには自衛隊を含む。この他在日米軍の施設や那覇港の民間用途の施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。さらに、那覇空港の制限表面により、市街地の多くは超高層ビルや超高層マンションを建てることが出来ない[4]。おもろまちを中心とする那覇新都心をはじめとした航空規制の影響がない北部エリアや、再開発事業の一環として旧市街地の牧志・安里地区などに高層ビルが建ち始めている。
都市化に伴って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約78万人(都市雇用圏 - 2005年)となっている。なお、地方での人口減少が深刻な問題になっている今日においても那覇市及び那覇市の周辺自治体では人口増加が著しく、2015年12月現在の都市雇用圏人口は約86.1万人(10%流入人口※2010年の国勢調査の結果、北谷町から同都市圏への流入人口が沖縄市都市圏への流入人口を上回った為、都市圏域が北谷町まで広がった。)。さらに那覇市を中心とした沖縄本島中南部圏の人口は面積約482km2(政令指定都市の北九州市とほぼ同じ)に対し人口は約121.2万人(推計人口2021年2月1日現在。広島市とほぼ同じ)を超え、国内でも有数の人口集中地区である。
市の中心部は国場川(漫湖)、及び安里川に囲まれた平地地帯に広がり、那覇市、及び沖縄県の主要施設の多くがそこに立地している。近年では1987年に米軍の牧港住宅地区が全面返還されたことにより、那覇新都心として開発が進み、中心地に置かれていた企業本社などの一部が移転しており、新たな中心部となっている。
また、中心部周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。一時は琉球王国時代の首都でもあった首里地区は海抜100m程度の高台の上に位置し、場所によっては那覇市全域を見渡すことも可能である。
観光面では、市の中心部の国際通り、市東部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府。2000年12月に世界遺産・琉球王国のグスク及び関連遺産群として登録)が中心であったが、近年、前述の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模で国内では唯一の空港外大型免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。東シナ海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は1991年に供用開始された波の上ビーチ(人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼や泡盛などがある。
2006年に中核市指定要件の1つである面積要件が撤廃された事を受け、本市は中核市移行を目指していた[5][6][7]。そして2012年10月19日に行われた閣議により、那覇市を中核市へ指定する政令を決定した[8][9][10] のち、2013年4月1日をもって全国で42番目の中核市に移行した[11]。
「那覇(なは)」の語源は、漁場を表す「なふぁ」からきている[12]。この由来は、那覇市のサイトにも、伊波普猷の唱えた説として紹介されている。なお、那覇を本来の表記(旧字体)で表すと外字にあたるため、那覇市では人名用漢字を使用している。本来、「那」は左側の2本の横線を縦線の右まで突き通し、「覇」は西の下部にある一本線がない形(襾)になる[13]。
沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。 市中央部がほぼ平坦で、周辺部に小高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を東から西に国場川や安里川が流れ、東シナ海に注いでいる。豊見城市との市境にある漫湖はラムサール条約に登録されている。
鎌倉市(かまくらし)は、神奈川県の南部に位置する市。人口は約17.3万人。三浦半島西側の付け根にあり、鎌倉を中心部とする。
鎌倉市は横浜市の南西、藤沢市の東、逗子市の北西に位置し、南は相模湾に面している。三方が低い山で囲まれ海に面する地であり、かつては鎌倉幕府が置かれ政権の要の地となり、日本史の時代区分でもある「鎌倉時代」の由来にもなった。今日では旧腰越町や旧大船町など、いわゆる「三方を山に囲まれた鎌倉」の外側に位置する地域も市内に含まれる。鎌倉は地域内に多くの歴史遺跡を持つ「古都」であるが、後述の通り室町時代中期以降に衰退したため「都市・鎌倉」としての歴史は連続していない。ゆえに中世以来の建造物は限られる。
江戸時代後期になると、地域内の寺社が多くの参詣客を集めるようになるが、明治初期の段階でも鎌倉大仏(高徳院)や長谷寺を擁する長谷(はせ)地区に都市的な集落が分布するのみで、現在の鎌倉市の中心市街地は形成されていなかった。明治初期、現鎌倉市域を含む鎌倉郡を管轄する郡役所は戸塚(現横浜市戸塚区)に置かれた。
「鎖国」体制であった江戸時代には、国内唯一の江戸幕府公認の国際貿易港(対オランダ、対中国)・出島を持つ港町であった。このため、出島跡を初めとして、異国情緒に満ちた港町として有名である。歴史的経緯からカトリック教徒の数が比較的多いことでも知られており、特にカトリック教会は長崎県単独で一つの大司教区を形成している(日本の大司教区は長崎含め3つあり、東京大司教区は東京・千葉で、大阪大司教区は大阪・兵庫・和歌山で構成)。
また、実戦で使用された核兵器(原子爆弾)としては広島市に次ぐ世界史上2番目の、そして最後の被爆都市としても知られる。「近隣の核武装国による核攻撃を想定するのは、他国に誤解を与える」との信念の下で、全国自治体の中では唯一、国民保護計画案から、他国より核攻撃想定される事態の想定をあえて削除している(2007年5月11日 市長発言)。なお、長崎県は計画案の中で核攻撃への対処事項を記述している。
長崎半島および西彼杵半島を市域とする。諫早市、西海市、西彼杵郡時津町・長与町に隣接する。市の形状は全国的に見ても数少ない「すり鉢」状となっている。市の中心部は三方を山に囲まれており、女の都(めのと)・三原・本原・西山・片淵・小島(こしま)・稲佐(いなさ)・小江原(こえばる)・西町・滑石(なめし)など住宅地の多くは山の斜面を利用している。そのため「階段の街」「坂の街」として有名である。坂が多いため自転車に乗る人は少なく、他の都市でしばしば問題になる放置自転車等の問題は少ない。また、「自転車屋」を名乗りながらも原付バイクだけを扱う店も多い。長崎市内の小学校・中学校・高等学校は立地条件の関係上全ての学校で自転車通学が禁止されており、自転車置き場すら存在しないほどである。
市の中心部を流れる川には、北部から南下し長崎港へ注ぐ浦上川と、市の北東部から長崎港へ注ぐ中島川とがある。それぞれ川沿いに平地と埋立地があり、商業地や公共施設はそこに集中する。
青森市(あおもりし)は、青森県の津軽地方[5]・東青地域に位置する市。青森県の県庁所在地及び最大の都市であり、中核市に指定されている。青森湾に臨む交通の要地。江戸初期に港町として発展。三内丸山遺跡や青森ねぶた祭が知られる。
本州最北の県である青森県のほぼ中央に位置する。県の西半部を指す津軽地方においては北東部に位置し、東津軽郡の町村と東青地域を構成する。青森平野を中心とし、北は陸奥湾の支湾である青森湾に面し、南部から東部にかけては奥羽山脈の北端部にあたる八甲田山・東岳山地の山が連なり、西部で市域は津軽半島の脊梁山脈である梵珠山地や津軽平野に広がる。市街地は青森湾沿いの中心市街地から青森平野上を扇状に展開しており、行政都市・商業都市・交通都市・港湾都市の性格を有する。
東北地方を縦貫する路線および本州と北海道をつなぐ路線の結節点であり、日本国内の交通・物流における要衝である。西の津軽半島と東の夏泊半島に抱かれた青森湾奥に青森港があり、函館港との青函航路をフェリーが運航している。鉄道は新青森駅が東北新幹線の終点、北海道新幹線の起点となっている。また、青い森鉄道線(旧東北本線)と奥羽本線が青森駅で合流して終点となり、津軽線が津軽半島の青森湾沿いを北に延びている。道路は東北自動車道が青森インターチェンジで終点となり、国道4号と国道7号も中心部で終点となって接続している。また、南西部の丘陵地には青森空港がある。
陸奥湾はその大きさに対して湾口である平舘海峡の幅が狭いため外洋の影響を受けにくい。湾外から入った波浪は広い湾内で拡散するため、波高が小さく穏やかで、また潮汐によって流入または流出する海水が限られるため干満差も小さい。こうした安定的な海域環境は養殖業や港湾に適し、沿岸ではホタテの養殖が営まれ、湾奥の青森港は岩礁もなく静穏度が高い天然の良港となっている。
南東部の八甲田山一帯は十和田八幡平国立公園に指定されており、四季を通じた観光地となっている。北東部の浅虫地区は浅虫夏泊県立自然公園に指定されている。市内には温泉が多く、八甲田山麓の酸ヶ湯や湾岸の浅虫温泉などがある。