作詞者 荒木とよひさ 作曲者 荒木とよひさ

都はるみ Harumi Miyako 都春美,出生於日本京都府京都市,日本女性演歌歌手。

前川清 Maekawa Kiyoshi

千 昌夫 Sen Masao 本名阿部 健太郎, 日本演歌歌手、企業家,著名歌曲『北國之春』的原唱者。

 

橋幸夫 Yukio Hashi 東京都荒川區出身的歌手、演員、製作人。 先後進入遠藤實、吉田正門下、1960年年17歲的橋以「潮来笠」一曲出道、以此曲獲得第二屆日本唱片大獎新人賞。和後來出道的舟木一夫、西鄉輝彦一起被稱為「御三家」,具有高知名度。

旅游日语会话:购物篇(一) 购物篇(二) 购物篇(三) 旅游日语会话:住宿篇(一) 住宿篇(二)

基本会話(基本会话)

あなた:こんにちは。

顾客:你好。

相手:いらっしゃいませ。

对方:欢迎光临。

あなた:ちょっと見るだけです。

顾客:进来看下。

相手:何をお探しですか。

对方:您需要什么样的。

相手:こちらへどうぞ。

对方:这边请。

あなた:これ、いくらですか。

顾客:这个多少钱。

相手:○○円です。

对方:多少日元。

あなた:もっと安いのはありませんか。

顾客:有稍微便宜一点的吗?

相手:はい。ご予算は。

 对方:有的,你的预算是多少?

あなた:あまり気に入らないんですが。

顾客:这个我不是很中意。

あなた:あれを見せていただけますか。

顾客:可以给我看下那个吗?

あなた:これはいくらですか。

顾客:这个多少钱?

あなた:これをください。

顾客:就买这个了。

相手:よくお似合いです。

对方:非常合适。

相手:これはいかがですか。

对方:这个怎么样?

相手:申し訳ございませんが、うちにはございません。

对方:不好意思,我们这边没有。

相手:毎度ありがとうございました。

对方:谢谢惠顾。

相手:またお越しくださいませ。

 

 

对方:欢迎再次光临。

 

 

あなた:レシートお願いします。

 

 

顾客:麻烦结账。

 

 

相手:はい、少々お待ちください。

 

 

对方:好的,请稍等。

 

値切るときの言い方(砍价的说法)

 

あなた:値段がちょっと……。

 

 

顾客:价格有点贵。

 

 

あなた:高いですね。

 

 

顾客:价格贵了。

 

 

あなた:安ければ安いほどいいです。

 

 

顾客:越便宜越好。

 

 

あなた:もうちょっと安くなりませんか。

 

 

顾客:能不能便宜一点呢。

 

 

あなた:割引はありませんか。

 

 

顾客:没有折扣吗?

 

 

あなた:予算が合わないんです。

 

 

顾客:超过我的预算了。

 

 

あなた:5千円しか持っていないんです。

 

 

顾客:我只有5000日元。

 

 

相手:では、こちらはいかがですか。

 

 

对方:那这个怎么样?

 

 

あなた:もっと安い店もありましたけど

 

 

顾客:还有没有便宜一点的店呢。

デパートで(在商场里)

 

相手:いらっしゃいませ。

 

 

对方:欢迎光临。

 

 

相手:何をお探しでしょうか。

 

 

对方:有什么需要我帮您的吗?

 

 

あなた:ちょっと見てるだけです。

 

 

顾客:只是稍微看一下。

 

 

相手:どうぞごゆっくりご覧ください。

 

 

对方:请慢慢看。

 

 

相手:何をさしあげましょう。

 

 

对方:我来给你推荐一下吧。

 

 

相手:~はいかがですか。

 

 

对方:(这个)怎么样?

 

 

相手:ご予算は?

 

 

对方:预算是多少。

 

 

相手:うちにはございません。

 

 

对方:我们这边没有。

 

 

相手:毎度ありがとうございます。

 

 

对方:谢谢惠顾。

 

 

あなた:こんにちは。

 

 

顾客:你好。

 

 

相手:いらっしゃいませ。何をさしあげましょう。

 

 

对方:欢迎光临,有什么可以帮到您的吗?

 

 

あなた:この辺の観光地図をください。

 

 

顾客:给我看下这一带的观光地图。

 

 

相手:はい。これ、いかがですか。

 

 

对方:好的。这个怎么样?

 

 

あなた:すみません。もっと小さいのありますか。

 

 

顾客:不好意思。有小一点的吗?

 

 

相手:はい、ちょっと待ってください。

 

 

对方:好的,请稍等。

 

 

あなた:いくらですか。

 

 

顾客:多少钱?

 

 

相手:これですか。2万円です。

 

 

对方:这个是2万日元。

 

 

あなた:もっと安いのありますか。

 

 

顾客:有稍微便宜一点的吗?

 

 

相手:はい。ご予算は?

 

 

对方:你的预算是多少?

 

 

あなた:1万円ぐらい。

 

 

对方:大概一万日元左右。

 

 

相手:これは1万円です。

 

 

对方:这个是一万日元。

 

 

あなた:それ、ください。

 

 

顾客:那就买这个吧。

 

 

相手:毎度ありがとうございます。

 

 

对方:谢谢光临。

 

 

あなた:これ、お願いします。

 

 

顾客:就买这个了。

 

 

相手:はい。

 

 

对方:好的

 

 

あなた:レシートください。

 

 

顾客:麻烦结账。

 

 

相手:はい。

 

 

对方:好的。

洋品店で(在洋货店里)

 

あなた:着てみてもいいですか。

 

 

顾客:可以试穿一下吗?

 

 

あなた:ちょうどいいです。

 

 

顾客:刚好正适合。

 

 

あなた:あいません。

 

 

顾客:不合适。

 

 

あなた:大きすぎます。

 

 

顾客:太大了。

 

 

あなた:小さすぎます。

 

 

顾客:太小了。

 

 

あなた:ショーウィンドーに出ているのが気に入りました。

 

 

顾客:喜欢展示橱窗里展出的那件。

 

 

あなた:他の色はありませんか。

 

 

顾客:还有其他颜色吗?

 

 

あなた:同じものでもっと大きい(小さい)のはありませんか。

 

 

顾客:能给我大一号(小一号)的吗?

 

 

あなた:勘定に間違いはありませんか。

 

 

顾客:确定没算错吗?

 

 

あなた:英語の説明書がついていますか。

 

 

顾客:有带英语说明书的吗?

 

 

あなた:これに合うものがほしいんですが。

 

 

顾客:想要和这个搭配起来的(衣服等)。

 

 

あなた:これは日本製ですか。

 

 

顾客:这个是日本制造吗?

 

 

あなた:サイズを計ってください。

 

 

顾客:请估算一下尺寸。

 

 

あなた:試着できますか。

 

 

顾客:可以试穿吗?

 

 

あなた:税関で問題になることはないでしょうね。

 

 

顾客:在关税方面没有问题吗?

 

 

あなた:それはいりません。どうもありがとう。

 

 

顾客:这个不需要了。谢谢。

 

 

あなた:これは女物ですか。

 

 

顾客:这个是女式的吗?

 

 

あなた:私に合うサイズはどれですか。

 

 

顾客:和我身的尺寸是哪个?

 

 

相手:サイズはおいくつですか。

 

 

对方:你的号是多少?

 

 

あなた:ウェストが60です。

 

 

顾客:腰围是60cm。

 

 

相手:どんな色をお望みですか。

 

 

对方:想要什么颜色的?

 

 

あなた:黒か赤です。

 

 

顾客:黑色或者红色。

 

 

相手:どちらがよろしいですか。

 

 

对方:你喜欢哪个呢?

 

 

あなた:こっちの方がよさそうですね。

 

 

顾客:这个好像比较好。

 

 

あなた:ちょっと派手じゃありませんか。

 

 

顾客:是不是有点花哨了。

 

 

相手:いまはやりのものですが。

 

 

对方:这个是现在流行的。

 

 

あなた:長すぎますね。

 

 

顾客:太长了。

 

 

あなた:少し短いのをください。

 

 

顾客:能给我稍微短一点的吗?

 

 

あなた:サイズがよく分からないんですが。

 

 

顾客:对自己的尺码也不是很了解。

 

 

あなた:ちょっと計っていただけますか。

 

 

顾客:能搞我大致估算一下吗?

 

 

あなた:試着室はどこですか。

 

 

顾客:试衣间在哪里?

 

 

あなた:ちょっときついです。

 

 

顾客:好像有点小了。

 

 

あなた:ゆるいのをください。

 

 

顾客:有没有宽松一点的。

 

 

あなた:ちょうどいいです。

 

 

顾客:刚好合身。

 

 

あなた:全部でいくらですか。

 

 

顾客:一共多少钱。

 

 

あなた:大きいサイズもありますか。

 

 

顾客:还有大号吗?

 

 

あなた:デザインが気に入りません。

 

 

顾客:不是很喜欢这个设计。

 

 

あなた:直せますか。

 

 

顾客:可以修改吗?

 

 

あなた:輸入品ですか。

 

 

顾客:是进口的吗?

ホテルで(在酒店里)

 

相手:いらっしゃいませ。

 

 

对方:欢饮光临。

 

 

あなた:お願いします。

 

 

旅客:麻烦了。

 

 

相手:ご予約ですか。

 

 

对方:有预约吗?

 

 

あなた:はい、金ですが。

 

 

旅客:有,付过定金了。

 

 

相手:はい、306号室です。

 

 

对方:306号房。

 

 

あなた:すみません。

 

 

乘客:不好意思,请问。

 

 

あなた:食堂はどこですか。

 

 

乘客:餐厅在哪里?

 

 

相手:3階です。

 

 

对方:3层。

 

 

あなた:予約してあります。

 

 

旅客:现在要预约。

 

 

あなた:もっと安い部屋はありませんか。

 

 

乘客:还有更便宜一点的房间吗?

 

 

あなた:部屋を見せてください。

 

 

乘客:可以让我看下房间吗?

 

 

あなた:もっと大きい部屋はありませんか。

 

 

旅客:有大一点的房间吗?

 

 

あなた:料金はいくらですか。

 

 

旅客:价钱是多少?

 

 

あなた:サービス料は入っていますか。

 

 

旅客:含服务费吗?

 

 

あなた:税金は入っていますか。

 

 

旅客:含税了吗?

 

 

あなた:これ、あずかってください。

 

 

旅客:请帮寄存这个。

 

 

あなた:鍵を部屋に忘れました。

 

 

旅客:钥匙忘记在房间里了。

 

 

あなた:ここに電話してください。

 

 

旅客:请打这个电话。

 

 

あなた:これ、送ってください。

 

 

旅客:请把这个送过去。

 

 

あなた:こ とづけは、ありませんか。

 

 

旅客:可以代我捎个口信吗?

 

 

あなた:明日の朝、早く発ちます。

 

 

旅客:明天一早就出发。

 

 

あなた:タクシーを呼んでください。

 

 

旅客:请叫出租车。

 

 

あなた:ドルを換えたいのですが。

 

 

旅客:我想兑换美元。

 

 

あなた:手紙は来ていますか。

 

 

旅客:有来信吗?

 

 

あなた:部屋を予約したいんですけど。

 

 

旅客:我想预约房间。

 

 

相手:申し訳ございませんが、ただ今お部屋はすべて使用中となっておりまして……。

 

 

对方:非常抱歉,现在所有的房间都满了。

 

 

あなた:ツインでお願いします。

 

 

旅客:要双床房。

 

 

あなた:お部屋を拝見してもよろしいですか。

 

 

旅客:可以看下房间吗?

 

 

あなた:眺めはいいでしょうか。

 

 

旅客:视野很好吧。

 

 

あなた:ソウルで予約してきたんですけど。

 

 

旅客:在首尔预约过的。

 

 

相手:いらっしゃいませ。

 

 

对方:欢迎光临。

 

 

相手:お名前をお願いします。

 

 

对方:请告知我姓名。

 

 

相手:少々お待ちください。

 

 

对方:稍等下。

 

 

あなた:部屋は何階ですか。

 

 

旅客:房间在第几层?

 

 

あなた:ホテルは何時まで開いてますか。

 

 

旅客:酒店开到几点?

 

 

相手:何日間宿泊のご予定でしょうか。

 

 

对方:请问您要住几晚?

ルームサービス(客房服务)

 

あなた:もしもし、1507号室ですけど。

 

 

旅客:喂,这里是1507号房。

 

 

あなた:ルームサービスお願いしたいんですけど。

 

 

旅客:这里需要客房服务。

 

 

あなた:トーストとコーヒーお願いします。

 

 

旅客:需要点吐司面包和咖啡。

 

 

相手:何時頃お持ちしましょうか。

 

 

对方:请问需要几点给您送过来呢?

 

 

あなた:7時半にお願いします。

 

 

旅客:7:30。

 

 

相手:お名前とお部屋番号をお願いします。

 

 

对方:请告知下名字和房间号。

 

 

相手:お客様お一人様ですか。

 

 

对方:请问是一个人吗?

 

 

あなた:モーニングコールをお願いしたいんですけど。

 

 

旅客:我需要叫醒服务。

 

 

相手:何時にいたしましょうか。

 

 

对方:几点呢?

 

 

あなた:朝7時にお願いします。

 

 

旅客:早上7点。

 

 

あなた:クリーニングお願いできますか。

 

 

旅客:麻烦帮我拿去干洗下。

 

トラブル(关于故障)

 

あなた:部屋に鍵を忘れたんですけど。

 

 

旅客:钥匙忘记在房间里了。

 

 

あなた:お湯が出ないんですけど。

 

 

旅客:水出不来。

 

 

あなた:暖房がきかないんですけど。

 

 

旅客:暖空调坏了。

 

 

あなた:部屋がとてもうるさいんですけど。

 

 

旅客:房间隔音效果不好。

 

 

あなた:部屋がちょっと汚いんですけど。

 

 

旅客:房间有点脏。

 

 

あなた:タオルがないんですけど。

 

 

旅客:没有毛巾。

 

 

あなた:テレビが映らないんですけど。

 

 

旅客:电视机打不开。

 

 

あなた:電話が通じないんですけど。

 

 

旅客:电话打不通。

 

 

あなた:部屋を替えていただけませんか。

 

 

旅客:可以换个房间吗?

 

チェックアウト(结账离开旅馆)

 

あなた:領収書お願いします。

 

 

请给我开张发票。

 

 

あなた:お勘定お願いします。

 

 

旅客:请结账。

 

 

あなた:タクシーを呼んでいただけますか。

 

 

旅客:请叫出租车。

 

 

あなた:ちょっと荷物を預かっていただけますか。

 

 

旅客:可以寄存行李吗?

厳島神社(いつくしまじんじゃ、公式表記:嚴島神社[1])は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社

厳島神社(いつくしまじんじゃ、公式表記:嚴島神社[1])は、広島県廿日市市厳島(宮島)にある神社式内社名神大社)、安芸国一宮旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。

古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。

平成8(1996)年12月にユネスコ世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている[2]

広島県広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている。平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されているそのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。

厳島神社の平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つ[* 1]に数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居重要文化財)は日本三大鳥居の1つ[* 2]である。また、夏に行われる例祭は「管絃祭」として知られる。

創建

社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことに始まるとされる。「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとする説がある。

厳島神社の鎮座する厳島(宮島)は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源[* 4]のように、古代から島そのものがとして信仰されたと考えられている。厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる。

概史

文献での初出は、弘仁2年(811年)に名神に預かったという記事である。平安時代中期の『延喜式神名帳』では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載されて名神大社に列したほか、安芸国一宮とされた。その頃には神職は佐伯氏が掌握した。この社格が昇っていく過程で祭神が整備されていったと考えられており、祭神の市杵島姫命が明記されるのは『一宮記』以降になる。

平安時代末期、神主・佐伯景弘と当時の安芸守平清盛の結びつきを契機に平家一族から崇敬を受けた。仁安3年(1168年)頃、平清盛が社殿を造営し現在と同程度の大規模な社殿が整えられた[* 5]。平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となった。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けるが、建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)の2度の火災で建物の全てを焼失している。そのため、現在残る社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に造営されたものである。

厳島は神の住む島として禁足地とされ、鎌倉時代頃までは地御前神社(外宮)において主な祭祀が行われていた。鎌倉時代末期から南北朝時代以降、社人・僧侶が禁を破って住むようになったとされる[4]

戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢は徐々に衰退する。毛利元就弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収めて厳島を含む一帯を支配下に置き、厳島神社を崇敬するようになると再び隆盛した。元就は大掛かりな社殿修復を行なった。また、豊臣秀吉も九州遠征の途上で厳島神社に参拝し、大経堂(現 千畳閣)の造営を行なっている。

江戸時代には厳島詣が民衆に広まり、門前町や周囲は多くの参拝者で賑わった。

明治維新後、明治新政府が派遣した大参事によって社殿が「仏式」と判断され、神仏分離の原則によって社殿の焼却が命じられた(廃仏毀釈)。厳島神社の棚守(宮司に相当)が東京の明治新政府に直訴したことによって社殿の焼却は免れたものの、仏教的と考えられた社殿の彩色がすべて剥がし落とされて「白木造」に改められ、千木と鰹木が新設されるなどの「復古」が行われた。また大経堂(千畳閣)は内陣の木鼻を切り落とし、仏像などを撤去したうえで末社「豊国神社」に改めるなど、社殿の損壊と分離が行われ、大聖院(旧別当寺)、大願寺といった寺院が独立した。

明治4年(1871年近代社格制度において国幣中社に列し、明治44年(1911年)に官幣中社に昇格した。明治末に社殿が国宝に指定されたことを機に、廃仏毀釈で破壊された部分が明治末の大修理と大正の修理で復旧され、千木と鰹木も撤去された(このため、明治時代の厳島神社の写真にのみ千木と鰹木が写っている)。

一橋大学(ひとつばしだいがく、英語: Hitotsubashi University)は、東京都国立市中2丁目1番地に本部を置く日本の国立大学である。1920年に設置された。指定国立大学法人に指定されている。

建学の精神(校訓、理念、学是)

沿革から、産業界の指導者を育成するという建学理念を持つ。19世紀イギリスの論客トーマス・カーライルの著作『過去と現在』("Past and present") から採られた言葉「キャプテンズ・オブ・インダストリー (Captains of Industry)」[3] という言葉は一橋大学における事実上の校是となっている。

教育および研究

少人数教育

一橋大学では少人数教育を重視している[4]

全学部の入学定員の合計は1学年950人強[5]。1875年開設以来の卒業生の数は7万人程度と比較的少ない[6]

現在でも、あまり規模が大きくない大学であるが、1980年以前頃までは、さらに少ない学生数であった。戦前の学生数は大学本科1学年280名前後、大学予科1学年200名前後、付属専門部1学年200名前後、商業教員養成所1学年35名前後であり、大学本科全体で合わせて700人から1,000人程度、学園全体で2,400人程度であった[7][8]

戦後は付属大学予科や付属専門部を吸収して拡張し、1学年440名(1959年)から490名(1963年)程度に増加した[9][10]。他の国立大学文系学部と同様に団塊世代が大学に進学する1965年以降大幅に定員が増え、現在では学部生1学年約950人程度となっている[11]

ゼミナール

少人数教育における特色としては、特に必修のゼミナール制度が挙げられる。このゼミナール制度はベビーブームの時代にも教員一人に対して10人前後の学生という形態を変更しなかった。現在も10人前後でのゼミが行われている。

またこのゼミナールでは、学問だけでなく全人格的指導を行っているのも特徴であるとされる[12]。学生は3, 4学年の2年間を通じて、同じゼミに所属することとなる。課外でのレクリエーション、ゼミ合宿、卒業後の定期的な会合などが行われるゼミも多い。

学部間の壁が薄い

戦前は東京商科大学という単科大学であったこともあって、学部間の壁があまりない。そのため一般の授業については、他学部の科目を原則自由に履修することができる。さらに他学部の専攻を副専攻とすることができる副専攻プログラムや、他学部への転学部制度もある[13]

ゼミナールについても、副ゼミナール制度などを利用することにより、他学部のゼミを履修することができる。

また学部によって、使用される建物が違うということもなく、使用されるシラバス・時間割も全学部共通のものである。1年次の語学のクラスも全学部の学生により構成され、他学部の学生と交流する機会も多い。

国際色ある教育

戦前から外国人教師を任用するなど国際色ある教育が伝統[14] で、現在500名を超える留学生が在籍しており、文部科学省大学国際戦略本部強化事業にも採択されている。

大学に在学しながら、海外の大学に留学し、その際授業料・旅費・生活費が全額給付されるという一橋大学海外留学奨学金制度もある。また授業の一環として夏休み等に海外の大学に語学留学する講義も開講されている。

学風および特色

官学化に反する学風

産業界の指導者を育成するという建学理念があり、そして実際にも卒業生の多くが産業界で活躍し、従来官界、法曹界に進むものは多くはなかった。また1909年には東京帝国大学に統合し、東京帝国大学法科大学商科とすると決定した文部省に対し、学生、教員、同窓会が抗議、緒方竹虎武井大助らがリーダーとなり学生が総退学決議をなし、これに折れた文部省が決定を撤回し、その結果、現在も一橋大学が存続しているという経緯がある。そこで、卒業生は「官僚等の養成を目的に設立された旧帝国大学とは違う」という考え方を持っている[15]。ただ、現在では法曹界や官界に進む卒業生も増えてきている[15]。特に法科大学院ができてからは大学の公式のプログラムにより法曹養成が行われており、公共政策大学院も設置されている。

学生の自由を重んじる

現在の大学の名称が学生の投票により決められ、また学長選において学生の投票を最後まで認めていた大学であるという事実等から関係者は「学生の自由を重んじる校風をもっている」と考えており[16]、現在でも学長選・副学長選では学生による参考投票が行われている[17]

石川さゆり Sayuri Ishikawa 石川小百合本名石川絹代(いしかわ きぬよ),是日本殿堂級的演歌歌手,在演歌界有著舉足輕重的影響力。

 

中島みゆき Miyuki Nakajima 中島美雪出生於日本北海道札幌市的創作型女歌手、廣播主持人。她於1975年出道,於80年代取得巨大成功,受到了極大歡迎,至今仍受到普遍的支持,在日本是一位具有代表性的創作型女歌手。

 

小田和正 Kazumasa Oda 是一位知名的男歌手、作曲家,原樂團Off Course成員(主要核心成員),日本1970與1980年代重要的樂團之一。

 

東海林太郎 Taro Shoji 日本歌手,1936年起出道,為二戰前最具代表性的歌手。一直以來以其直立不動一本正經的演唱方法贏得了日本國民的喜愛。

 

『夏は来ぬ』(なつはきぬ)は、佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の日本の唱歌である。

村田英雄 Hideo Murata

北島三郎 Saburō Kitajima 日本的演歌歌手、演員、作詞家、作曲家。

山口百恵 Momoe Yamaguchi 日本東京都澀谷區惠比壽出身,前日本著名歌手、演員。

三橋美智也 Michiya Mihashi 日本著名的演歌歌手,出生於北海道函館市近郊的上磯町。

三橋美智也 Michiya Mihashi 日本著名的演歌歌手,出生於北海道函館市近郊的上磯町。

橋幸夫,吉永小百合 橋幸夫Yukio Hashi 東京都荒川區出身的歌手、演員、製作人。 先後進入遠藤實、吉田正門下、1960年年17歲的橋以「潮来笠」一曲出道、以此曲獲得第二屆日本唱片大獎新人賞。和後來出道的舟木一夫、西鄉輝彦一起被稱為「御三家」,具有高知名度。 吉永小百合Sayuri Yoshinaga是一位出生於東京都澀谷區的日本女演員,本名為岡田小百合。

 

寺尾聰 Akira Terao 日本男性演員、創作歌手、貝斯手。墨鏡和虛無的表情是他的代表形象。父親宇野重吉是日本殿堂級的名演員。獲日本政府頒發紫綬勳章。

 

石原裕次郎 Yūjirō Ishihara 日本兵庫縣神戶市須磨區出身的日本著名演員、歌手。與美空雲雀被視為日本二次大戰之後最具代表性的藝人之一。

 

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗総本山寺院斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる[1]

法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である[2]

法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥奈良時代仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

法隆寺のある斑鳩の地は、生駒山地の南端近くに位置し、大和川を通じて大和国(現・奈良県)と河内国(現・大阪府南部)とを結ぶ交通の要衝であった。付近には藤ノ木古墳を始めとする多くの古墳古墳時代の遺跡が存在し、この地が古くから一つの文化圏を形成していたことをうかがわせる[3]

日本書紀』によれば、聖徳太子こと厩戸皇子(用明天皇の皇子)は推古9年(601年)、飛鳥からこの地に移ることを決意し、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだという。法隆寺の東院の所在地が斑鳩宮の故地である。この斑鳩宮に接して建立されたのが斑鳩寺、すなわち法隆寺であった。明治時代の半ば(19世紀末頃)まで、法隆寺の西院伽藍の建物は創建以来一度も火災に遭わず、推古朝に聖徳太子の建立したものがそのまま残っていると信じられていた。しかし、『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したという記事のあることから、現存する法隆寺の伽藍は火災で一度失われた後に再建されたものではないかという意見(再建論)が明治20年(1887年)頃から出されるようになった(菅政友黒川真頼小杉榲邨ら)。これに対し、『書紀』の記載は信用できず、西院伽藍は推古朝以来焼けていないと主張する学者たちもおり(平子鐸嶺関野貞ら)、両者の論争(法隆寺再建・非再建論争)はその後数十年間続いた(論争の詳細については後述)[4][5]

石田茂作らによる昭和14年(1939年)の旧伽藍(いわゆる若草伽藍)の発掘調査以降、現存の法隆寺西院伽藍は聖徳太子在世時の建築ではなく、一度焼亡した後に再建されたものであることが決定的となり、再建・非再建論争には終止符が打たれた。現存の西院伽藍については、持統7年(693年)に法隆寺で仁王会が行われている(『法隆寺資財帳』)ことから、少なくとも伽藍の中心である金堂はこの頃までに完成していたとみられる。同じく『資財帳』によれば、和銅4年(711年)には五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像が完成しているので、この頃までには五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していたとみられる[6][7][8]

現・西院伽藍の南東に位置する若草伽藍跡が焼失した創建法隆寺の跡であり、この伽藍が推古朝の建立であったことは、発掘調査の結果や出土の年代等から定説となっている[9]。また、昭和14年(1939年)、東院の建物修理工事中に地下から掘立柱建物の跡が検出され、これが斑鳩宮の一部であると推定されている[10]。「日本仏教の祖」としての聖徳太子の実像については、20世紀末頃から再検討がなされており、『書紀』などが伝える聖徳太子の事績はことごとく捏造であるとする主張もある。ただし、こうした聖徳太子非実在論に対しては根強い反論もある。また、聖徳太子非実在論説を唱える大山誠一も、厩戸皇子という皇族の存在と、その人物が斑鳩寺(創建法隆寺)を建立したことまでは否定していない[11]

金堂の「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。しかし、正史である『日本書紀』には(前述および後述の670年の火災の記事はあるが)法隆寺の創建については何も書かれていない。

前述の金堂薬師如来像については、昭和8年(1933年)、福山敏男により、

  • 像自体の様式や鋳造技法の面から、実際の製作は7世紀後半に下るとみられる。
  • 607年当時、日本における薬師如来信仰の存在が疑問視される。
  • 銘文中の用語に疑問が持たれる。

という疑問が提出された。この説はおおむね支持を得ており、薬師像は文字通り607年まで遡る製作とは見なされていない。また、金堂の中央に安置される本尊は「623年に聖徳太子の冥福のため止利が造った」という内容の光背銘を持つ釈迦三尊像であり、これより古い薬師如来像が「東の間」に安置されて脇仏のような扱いをされている点も不審である[12]

皇極天皇2年(643年)、蘇我入鹿山背大兄王を襲った際に斑鳩宮は焼失したが、法隆寺はこの時は無事だったと考えられる。

なお、八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子を偲んで建立したものである。

養老2年(718年)に県犬養橘三千代(橘夫人)が西円堂を建立したとする伝承がある。また、娘の光明皇后が多額の寄進を行い、孫娘の橘古那可智聖武天皇夫人)の居所が寄進されて伝法院になったのも、彼女たちの法隆寺への信仰も三千代の影響と考えられる[13]

並木 路子 Michiko Namiki

春日八郎 Hachirō Kasuga 是日本著名歌手,出生于日本福岛县河沼郡会津坂下町塔寺。

 

長渕剛 Tsuyoshi Nagabuchi 長渕剛日本創作歌手、演員、詩人、畫家。

森進一 Shinichi Mori 是日本著名的演歌歌手,出生於山梨縣甲府市,有「演歌天王」之稱。

 

島倉 千代子 Chiyoko Shimakura

村田英雄 Hideo Murata