

基本会話(基本会话)
あなた:こんにちは。
顾客:你好。
相手:いらっしゃいませ。
对方:欢迎光临。
あなた:ちょっと見るだけです。
顾客:进来看下。
相手:何をお探しですか。
对方:您需要什么样的。
相手:こちらへどうぞ。
对方:这边请。
あなた:これ、いくらですか。
顾客:这个多少钱。
相手:○○円です。
对方:多少日元。
あなた:もっと安いのはありませんか。
顾客:有稍微便宜一点的吗?
相手:はい。ご予算は。
对方:有的,你的预算是多少?
あなた:あまり気に入らないんですが。
顾客:这个我不是很中意。
あなた:あれを見せていただけますか。
顾客:可以给我看下那个吗?
あなた:これはいくらですか。
顾客:这个多少钱?
あなた:これをください。
顾客:就买这个了。
相手:よくお似合いです。
对方:非常合适。
相手:これはいかがですか。
对方:这个怎么样?
相手:申し訳ございませんが、うちにはございません。
对方:不好意思,我们这边没有。
相手:毎度ありがとうございました。
对方:谢谢惠顾。
相手:またお越しくださいませ。
对方:欢迎再次光临。
あなた:レシートお願いします。
顾客:麻烦结账。
相手:はい、少々お待ちください。
对方:好的,请稍等。
値切るときの言い方(砍价的说法)
あなた:値段がちょっと……。
顾客:价格有点贵。
あなた:高いですね。
顾客:价格贵了。
あなた:安ければ安いほどいいです。
顾客:越便宜越好。
あなた:もうちょっと安くなりませんか。
顾客:能不能便宜一点呢。
あなた:割引はありませんか。
顾客:没有折扣吗?
あなた:予算が合わないんです。
顾客:超过我的预算了。
あなた:5千円しか持っていないんです。
顾客:我只有5000日元。
相手:では、こちらはいかがですか。
对方:那这个怎么样?
あなた:もっと安い店もありましたけど
顾客:还有没有便宜一点的店呢。
デパートで(在商场里)
相手:いらっしゃいませ。
对方:欢迎光临。
相手:何をお探しでしょうか。
对方:有什么需要我帮您的吗?
あなた:ちょっと見てるだけです。
顾客:只是稍微看一下。
相手:どうぞごゆっくりご覧ください。
对方:请慢慢看。
相手:何をさしあげましょう。
对方:我来给你推荐一下吧。
相手:~はいかがですか。
对方:(这个)怎么样?
相手:ご予算は?
对方:预算是多少。
相手:うちにはございません。
对方:我们这边没有。
相手:毎度ありがとうございます。
对方:谢谢惠顾。
あなた:こんにちは。
顾客:你好。
相手:いらっしゃいませ。何をさしあげましょう。
对方:欢迎光临,有什么可以帮到您的吗?
あなた:この辺の観光地図をください。
顾客:给我看下这一带的观光地图。
相手:はい。これ、いかがですか。
对方:好的。这个怎么样?
あなた:すみません。もっと小さいのありますか。
顾客:不好意思。有小一点的吗?
相手:はい、ちょっと待ってください。
对方:好的,请稍等。
あなた:いくらですか。
顾客:多少钱?
相手:これですか。2万円です。
对方:这个是2万日元。
あなた:もっと安いのありますか。
顾客:有稍微便宜一点的吗?
相手:はい。ご予算は?
对方:你的预算是多少?
あなた:1万円ぐらい。
对方:大概一万日元左右。
相手:これは1万円です。
对方:这个是一万日元。
あなた:それ、ください。
顾客:那就买这个吧。
相手:毎度ありがとうございます。
对方:谢谢光临。
あなた:これ、お願いします。
顾客:就买这个了。
相手:はい。
对方:好的
あなた:レシートください。
顾客:麻烦结账。
相手:はい。
对方:好的。
洋品店で(在洋货店里)
あなた:着てみてもいいですか。
顾客:可以试穿一下吗?
あなた:ちょうどいいです。
顾客:刚好正适合。
あなた:あいません。
顾客:不合适。
あなた:大きすぎます。
顾客:太大了。
あなた:小さすぎます。
顾客:太小了。
あなた:ショーウィンドーに出ているのが気に入りました。
顾客:喜欢展示橱窗里展出的那件。
あなた:他の色はありませんか。
顾客:还有其他颜色吗?
あなた:同じものでもっと大きい(小さい)のはありませんか。
顾客:能给我大一号(小一号)的吗?
あなた:勘定に間違いはありませんか。
顾客:确定没算错吗?
あなた:英語の説明書がついていますか。
顾客:有带英语说明书的吗?
あなた:これに合うものがほしいんですが。
顾客:想要和这个搭配起来的(衣服等)。
あなた:これは日本製ですか。
顾客:这个是日本制造吗?
あなた:サイズを計ってください。
顾客:请估算一下尺寸。
あなた:試着できますか。
顾客:可以试穿吗?
あなた:税関で問題になることはないでしょうね。
顾客:在关税方面没有问题吗?
あなた:それはいりません。どうもありがとう。
顾客:这个不需要了。谢谢。
あなた:これは女物ですか。
顾客:这个是女式的吗?
あなた:私に合うサイズはどれですか。
顾客:和我身的尺寸是哪个?
相手:サイズはおいくつですか。
对方:你的号是多少?
あなた:ウェストが60です。
顾客:腰围是60cm。
相手:どんな色をお望みですか。
对方:想要什么颜色的?
あなた:黒か赤です。
顾客:黑色或者红色。
相手:どちらがよろしいですか。
对方:你喜欢哪个呢?
あなた:こっちの方がよさそうですね。
顾客:这个好像比较好。
あなた:ちょっと派手じゃありませんか。
顾客:是不是有点花哨了。
相手:いまはやりのものですが。
对方:这个是现在流行的。
あなた:長すぎますね。
顾客:太长了。
あなた:少し短いのをください。
顾客:能给我稍微短一点的吗?
あなた:サイズがよく分からないんですが。
顾客:对自己的尺码也不是很了解。
あなた:ちょっと計っていただけますか。
顾客:能搞我大致估算一下吗?
あなた:試着室はどこですか。
顾客:试衣间在哪里?
あなた:ちょっときついです。
顾客:好像有点小了。
あなた:ゆるいのをください。
顾客:有没有宽松一点的。
あなた:ちょうどいいです。
顾客:刚好合身。
あなた:全部でいくらですか。
顾客:一共多少钱。
あなた:大きいサイズもありますか。
顾客:还有大号吗?
あなた:デザインが気に入りません。
顾客:不是很喜欢这个设计。
あなた:直せますか。
顾客:可以修改吗?
あなた:輸入品ですか。
顾客:是进口的吗?
ホテルで(在酒店里)
相手:いらっしゃいませ。
对方:欢饮光临。
あなた:お願いします。
旅客:麻烦了。
相手:ご予約ですか。
对方:有预约吗?
あなた:はい、金ですが。
旅客:有,付过定金了。
相手:はい、306号室です。
对方:306号房。
あなた:すみません。
乘客:不好意思,请问。
あなた:食堂はどこですか。
乘客:餐厅在哪里?
相手:3階です。
对方:3层。
あなた:予約してあります。
旅客:现在要预约。
あなた:もっと安い部屋はありませんか。
乘客:还有更便宜一点的房间吗?
あなた:部屋を見せてください。
乘客:可以让我看下房间吗?
あなた:もっと大きい部屋はありませんか。
旅客:有大一点的房间吗?
あなた:料金はいくらですか。
旅客:价钱是多少?
あなた:サービス料は入っていますか。
旅客:含服务费吗?
あなた:税金は入っていますか。
旅客:含税了吗?
あなた:これ、あずかってください。
旅客:请帮寄存这个。
あなた:鍵を部屋に忘れました。
旅客:钥匙忘记在房间里了。
あなた:ここに電話してください。
旅客:请打这个电话。
あなた:これ、送ってください。
旅客:请把这个送过去。
あなた:こ とづけは、ありませんか。
旅客:可以代我捎个口信吗?
あなた:明日の朝、早く発ちます。
旅客:明天一早就出发。
あなた:タクシーを呼んでください。
旅客:请叫出租车。
あなた:ドルを換えたいのですが。
旅客:我想兑换美元。
あなた:手紙は来ていますか。
旅客:有来信吗?
あなた:部屋を予約したいんですけど。
旅客:我想预约房间。
相手:申し訳ございませんが、ただ今お部屋はすべて使用中となっておりまして……。
对方:非常抱歉,现在所有的房间都满了。
あなた:ツインでお願いします。
旅客:要双床房。
あなた:お部屋を拝見してもよろしいですか。
旅客:可以看下房间吗?
あなた:眺めはいいでしょうか。
旅客:视野很好吧。
あなた:ソウルで予約してきたんですけど。
旅客:在首尔预约过的。
相手:いらっしゃいませ。
对方:欢迎光临。
相手:お名前をお願いします。
对方:请告知我姓名。
相手:少々お待ちください。
对方:稍等下。
あなた:部屋は何階ですか。
旅客:房间在第几层?
あなた:ホテルは何時まで開いてますか。
旅客:酒店开到几点?
相手:何日間宿泊のご予定でしょうか。
对方:请问您要住几晚?
ルームサービス(客房服务)
あなた:もしもし、1507号室ですけど。
旅客:喂,这里是1507号房。
あなた:ルームサービスお願いしたいんですけど。
旅客:这里需要客房服务。
あなた:トーストとコーヒーお願いします。
旅客:需要点吐司面包和咖啡。
相手:何時頃お持ちしましょうか。
对方:请问需要几点给您送过来呢?
あなた:7時半にお願いします。
旅客:7:30。
相手:お名前とお部屋番号をお願いします。
对方:请告知下名字和房间号。
相手:お客様お一人様ですか。
对方:请问是一个人吗?
あなた:モーニングコールをお願いしたいんですけど。
旅客:我需要叫醒服务。
相手:何時にいたしましょうか。
对方:几点呢?
あなた:朝7時にお願いします。
旅客:早上7点。
あなた:クリーニングお願いできますか。
旅客:麻烦帮我拿去干洗下。
トラブル(关于故障)
あなた:部屋に鍵を忘れたんですけど。
旅客:钥匙忘记在房间里了。
あなた:お湯が出ないんですけど。
旅客:水出不来。
あなた:暖房がきかないんですけど。
旅客:暖空调坏了。
あなた:部屋がとてもうるさいんですけど。
旅客:房间隔音效果不好。
あなた:部屋がちょっと汚いんですけど。
旅客:房间有点脏。
あなた:タオルがないんですけど。
旅客:没有毛巾。
あなた:テレビが映らないんですけど。
旅客:电视机打不开。
あなた:電話が通じないんですけど。
旅客:电话打不通。
あなた:部屋を替えていただけませんか。
旅客:可以换个房间吗?
チェックアウト(结账离开旅馆)
あなた:領収書お願いします。
请给我开张发票。
あなた:お勘定お願いします。
旅客:请结账。
あなた:タクシーを呼んでいただけますか。
旅客:请叫出租车。
あなた:ちょっと荷物を預かっていただけますか。
旅客:可以寄存行李吗?

大学全体
大隈重信が明治十四年の政変による下野後に設立した東京専門学校を前身とする四年制の大学である[1]。1920年(大正9年)に日本の私立大学では慶應義塾大学などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2019年時点で、10の学術院のもと13学部・25研究科(大学院)を設置している[2]。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。
大隈重信が明治の代表的な政治家の一人であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから政治経済学部を看板学部とし、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの人材を輩出しているのをはじめとして、出版、新聞、文学などの分野でも多くの卒業生が活躍している。英国の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された[3]。
早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきた学校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称され、私立大学の最高峰に位置付けられることが多い[4]。
同窓会は「稲門会」(とうもんかい)と称され、 早稲田大学校友会に登録している「登録稲門会」に限っても1300を超える団体が存在し、国内有数の学閥となっている。
建学の精神
1913年(大正2年)当時の総長大隈重信は、前身となる東京専門学校の創立30周年記念祝典において、早稲田大学教旨を宣言した。
「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を基本理念としている。
早稲田大学教旨は、高田早苗、坪内逍遥、天野為之、市島謙吉、浮田和民、松平康国などが草案を作成し、大隈重信が校閲のうえ発表した。1937年(昭和12年)に教旨の碑文が早稲田大学正門前に設置された[5]。碑文の刻字は、前島密が1915年(大正4年)に揮毫した自筆が元であり、原本は大学に保存されている[6]。
戦後(1949年)、「立憲帝国の忠良なる臣民として」の14文字は「主権在民を謳った新憲法にふさわしくない」[7]として教旨から削除されたが、正門前の「早稲田大学教旨」の碑に刻まれた語句については「思想の変遷を知る歴史的文書としてそのままに保存することがかえって記念碑の趣旨に副う」[7]として削られることはなかった。現在、石碑は正門の外側左に移設され、大学の外から誰でも自由に見られるようになっている[8]。

和服という用語
「和服」は、文字通り「和」の「服」、すなわち日本の衣服という意味である。この言葉は明治時代に、西洋の衣服つまり「洋服」に対して、「従来の日本の衣服」を表す語として生まれたレトロニムである。
服飾史学者の小池三枝によれば、「着物」は元来「着る物」という意味であり、単に「衣服」を意味する語であった。しかし幕末に洋服が移入して以降、「西洋服」・「洋服」と区別して、「従来の日本の衣服」を(レトロニムで)「日本服」・「和服」と呼ぶようになり、さらに「着物」の語にも置き換えられるようになった。時代が進み、日常生活で頻繁に洋服が用いられるようになると、「着物」から「着る物」という本来の意味は薄れていき、「和服」の意味が濃くなっていった。現代での「着物」という語は専ら「和服」を意味し、狭義には一定の形式の和服(着物と羽織という場合の着物、つまり長着)を指す言葉に移りつつある[1]。それと同時に、「洋服」が「着る物」の意味で使われるようになった。
日本で和服という言葉が生まれる明治時代よりも前の16世紀の時点で、日本人が衣服のことを指して呼んだ着物 (kimono) が、現在で言う和服を表す語としてヨーロッパ人に知られるようになり、現在ではヨーロッパに限らず世界の多くの言語で日本で和服と呼んでいる物を kimono と呼んでいる。kimono は、日本の和服だけではなく、東アジア圏全般で見られる前合わせ式の服全般を指すこともある[要出典]。明治大学政治経済学部教授で文学者のマーク・ピーターセンの解説によると"kimono"は「和服」ではなく「着物風の婦人用化粧着」[注釈 1]というものを表わす英単語として使われ、さらに「着物姿の」という意味で"kimonoed"と単語の活用がなされる場合がある[2]。
呉服という呼び名については、これは和服用の織物の呼称の一つで、特に絹織物を指す語である[3][4][5]。もともとは絹織物を指す語として、綿織物・麻織物を指す「太物(ふともの)」と区別されていたが、現在は和服用の織物の総称としても使われている[3][4]。
和服の、世界の衣服の中での位置づけと特徴
そもそも衣類を大きく分類すると、懸衣型(けんいがた)、寛衣型、窄衣型(さくいがた)の3種に大別できる[6]。 懸衣型とは布を裁断したり縫ったりすることなく、身体に懸(か)けたり巻いたりするだけで成り立つ衣服。寛衣型とは緩やかなワンピース形式の衣服。窄衣型(さくいがた)とは、身体にぴったり合うように(曲線的に裁断したり縫ったりして、立体的に)「仕立てた」衣服。

名古屋城(なごやじょう)は、日本の城のひとつ。尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区本丸・北区名城)[1]にある。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。
戦国時代
16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いた「柳ノ丸」が名古屋城の起源とされる。この城は、のちの名古屋城二之丸一帯にあったと考えられている。
1538年(天文七年)、織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名した。信秀は一時期この城に居住し、1542年頃に信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となった(かつては1532年に城を奪取し、信長は那古野城で生まれたとされていたが、近年は上記の為勝幡城で生まれたという説が有力である)。1555年(弘治元年)に信長が清須城(清洲城)に本拠を移し、その後叔父の信光に与えられるが家臣に殺害されたため、家臣の林秀貞が守ることになるもやがて廃城となった。

姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている[8][9]。また、ユネスコの世界遺産リストにも登録され[10][11]、日本100名城[12]などに選定されている。別名は白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。詳細は名称の由来と別名を参照)という。
姫路城は播磨国飾磨郡[注釈 1]の現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された[14]。この他、「国宝五城」[注釈 2]や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。 姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏[注釈 3]の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もある[15]。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置された。城主が幼少・病弱・無能では牽制任務を果たせないので大名が頻繁に交替して城主に成っている。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めた。
明治時代初期に陸軍省の管理下に入ったが、まもなく民間に払い下げとなり、競売で神戸清一郎が23円50銭で落札したが、その後権利が放棄されたらしく国有に戻っている[16]。その後は陸軍兵営地となり歩兵第10連隊の駐屯地として使用され、兵舎増築のため本城、向屋敷、東屋敷等が撤去された[17]。年を経るごとに腐朽が進んでいたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などを名古屋城とともに保存する処置が取られ、その後また腐朽が進むと市民の間から衆貴両院に修復工事の陳情が行われ、議会の決議により国費9万円をもっての「明治の大修理」が行われた[2][18]。
この大修理を機に市民の間から陸軍省から姫路市への払い下げと城を公開にすることを求める声が強まり、姫路市会の決議を経て1914年(大正3年)に軍用地を除き姫路市への無償払い下げが決定し、公開されることなった[19]。
史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき1927年(昭和2年)には姫路城は史跡に指定され、さらに国宝保存法に基づき1931年(昭和6年)に姫路城天守閣が国宝指定を受けた[20]。太平洋戦争中には姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。
「昭和の大修理」を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっている。
